第17回 芸能人に見るカネの話②「地元の金融機関をうまく利用する」

お笑いコンビのかつみ・さゆりが先頃、「借金2億円の借り換えに成功した」と話題になりました。

浮き沈みの激しい芸能人に対して、銀行は昔から融資に厳しいと言われてきましたが、時代は変わったのでしょうか。

浮草稼業であるタレントの融資を切り口に話をしていきます。

吉本興業が2人に銀行を紹介した?

かつみ・さゆりが所属する吉本興業は、芸能の興行会社としては最も早く株式を証券取引所に上場した企業で、経営的にも安定した会社です。

いまでは芸能人ばかりでなく、プロ野球選手など幅広くマネジメント活動をすることでも知られてきました。

一方で、所属する芸人からは常に「ケチ」と不平不満をいわれる会社。ある意味、風通しの良い社風かもしれません。

吉本興業は風通しが良い?

吉本興業は風通しが良い?

吉本興業は営利企業ですから社員にそうそう甘い顔はしていられませんが、話題になるならば、一肌脱ごうという芸人根性を持つ企業ではないでしょうか。

ベテランの域に達しているこのコンビが借金で汲々としているものの、それを芸のネタにしているのを見て、「ここはひとつ、助けてやろう」と思ったのかもしれません。

2010年に非上場会社になったものの、依然として優良企業の吉本には数多くの地域金融機関が日参していることでしょう。

会社として社員に過度な資金支援はできないものの、銀行を紹介する程度のことなら、お安い御用。

日参している地方銀行や信用金庫を彼らに紹介したことは、容易に想像できます。また先輩芸人の口添えもありました。

本人たちが「吉本興業の先輩の縁を伝って」借り換えたと話していることからも明らかです。

池田泉州銀行とは、どんな銀行?

かつみ・さゆりの口から出た借り換え先の銀行名は、池田泉州銀行でした。池田泉州銀行とはどんな銀行でしょうか。

同行は、1951年に設立された池田銀行と泉州銀行が2010年に合併してできた銀行で、預金量は4.7兆円(2017年3月期、以下同)。

地銀業界では64行中第25位に位置する中堅地銀です。三菱UFJフィナンシャルグループ(MUFG)と友好関係があります。この銀行が置かれている状況を探ってみます。

池田泉州銀行本店

関西はかつて、特徴的な金融環境にありました。大阪府に住友、三和、大和の都市銀行3行が本部を置き、第二地方銀行は5行がひしめいていました。

兵庫県にも中堅都銀の太陽神戸銀行が固い地盤を誇っていました。

地銀は、滋賀・奈良・和歌山の3県に滋賀・南都・紀陽の3行がそれぞれ戦前からの名門銀行として「旧地銀」と一目置かれ、大阪府内に本店を置く大阪(2000年に近畿銀行と合併して近畿大阪銀行)・池田・泉州の3行は「戦後地銀」と呼んで新旧比較されてきました。京都府は都銀、地銀、信金がシェアを激しく競う激戦区です。

90年代後半からはそれが一変。バブル崩壊、その後の不良債権処理で再編統合の嵐が吹き荒れます。

メガバンクの誕生で関西地銀にも余波が広がりました。ワンマン頭取の情実融資などが相次ぎ、10行がひしめいていた近畿圏の第二地銀は音を立てて破たん。

その結果、軸足は関東に置きつつ地元を死守する三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)と関西系の旧三和銀行が属するMUFGが地銀・第二地銀を別動隊として動かし、各県の有力地銀が都市部に貸出先を求めて攻め入る展開になっていきました。

現在、第二地銀は近畿2府4県で3行ですが、そのうち2行がSMFGの傘下。

大阪市にある関西アーバン銀行は預金量4兆円で第二地銀業界第3位、旧住銀系列で三井住友銀行の子会社。

兵庫銀行と阪神銀行が合併してできた、みなと銀行(神戸市)は預金量3.1兆円で第二地銀業界第4位。同行は阪神銀がさくら(旧太陽神戸)銀行系だったため、これもSMFGの子会社です。

SMFGに属する関西アーバン銀とみなと銀、りそなグループの近畿大阪銀行を含めた3行は、2018年4月に金融持株会社「関西みらいフィナンシャルグループ」に統合し、関西アーバン銀とみなと銀の2行は2019年4月をめどに合併する予定です。

こうなると、2013年にMUFGの持分法適用会社から外れた池田泉州銀行は、メガバンクグループの支援も減り、関西地区で孤立することが避けられません。

同行は、こうした金融再編の中で生き延びるために、関西地区での貸し出し競争では多少の無理をしても融資量を積み上げていくべきと判断しているのではないかと思われます。

その結果、吉本興業とのパイプを築くため、同社の芸人からの紹介もあり、かつみ・さゆりの借り換え要請に応えることになったのではないでしょうか。

半沢直樹はいたのか?

かつみ・さゆりは、借り換え融資のエピソードの中で「銀行に半沢直樹のような人がいた」と話しています。

詳しい説明がないのでわかりませんが、熱血銀行マンで顧客の事情に理解を示してくれた人が池田泉州銀行にいた、という意味でしょう。そのような銀行マンがいたのでしょうか。

筆者は1980年代に金融業界の取材を始めました。最初は信用金庫、信用組合の担当でした。東京都内や近県の信金・信組の本部や支店で、数多くの金融マンに接しました。

3年後には地方銀行、第二地銀(当時は相互銀行と呼ばれていました)、さらに都市銀行、信託銀行と経験を重ねるに従って、より大きい規模の業態の取材を進めていきました。

地域の中小金融機関から取材をスタートさせるのは、親しみの持てる規模の小さい金融機関のほうが、取材の対応もおおらかで話がしやすい人たちが多いからとの配慮が、業界紙編集部にあったからです。

都銀の担当になれば、業務の範囲も広くなって取材テーマも多くなり、取材相手もだんだんとシビアになっていきます。

大手銀行の取材相手は大蔵省に日参するエリート銀行員が多く、取材するのが大変難しかったことを覚えています。

池田泉州銀行の一方の母体である池田銀行には、数人の関係者とパイプがありました。地方銀行は、日銀や金融庁との関係から、東京にオフィスを構えています。そこで知り合った池田銀行の方は、とても話しやすい人でした。

芸人といえども地元民

90年代に、あるベテランの男性歌手に銀行との付き合いについて取材したことがあります。若いころに口座を作った大手都銀に住宅ローンの申し込みをしたら、すげなく断られたそうです。

そのころ活動のウエートを歌手から俳優に変えていった頃で、俳優業は軌道に乗り始めていました。しかし、収入が不安定と判断されたのか、審査は通りませんでした。

そこで、アパートの近くにある信金の支店に口座を移し替え、しばらくして住宅ローンを申し込んだところ、融資が可能になりました。

定期預金の集金に来る支店の営業マンと仲良くなるなど信用力が増したからではないか、と語っていました。

地域金融機関は地元優先で生き残る

地銀など地域金融機関に勤務する銀行員は、地元出身者が大半を占めています。地域に根を張った金融機関として、地元の人たちの金融ニーズを汲み取るのが仕事。

かつみ・さゆりが出会った銀行員もまた、地元で生活する芸人たちの金融ニーズに何とかして応えたいとの思いがあったのではないでしょう。

地銀や信金は地元優先でなければ生き残れません。名前の通った大きな銀行ばかりではなく、地元の金融機関とうまく付き合うことも大事。2人の経験は、そのことを教えてくれます。

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