消費者金融大手の栄華盛衰~アコム

今年は貸金業法が本格施行されて10年になります。

1960年代の高度経済成長期に生まれ、「サラ金」と呼ばれながらも驚異的な発展を遂げた消費者金融業界。規制強化によって経営破たんや合併、メガバンク傘下入りなど、劇的な変遷を遂げてきた業界大手の今昔をご紹介します。

呉服屋から出発

アコムは1936年に神戸で創業した呉服屋「丸糸呉服店」が始まりです。しかし着物は比較的高価で、売れても代金の支払いが滞る顧客が少なくありませんでした。

そこで1948年、購入した着物を担保にした金融業も手掛けるようになったのが、貸金業進出のきっかけでした。

「表で呉服を売り、裏口で金貸しをやっていた」(同社OB)のです。丸糸の名はいまもアコムの主要株主である「丸糸殖産」や「マルイト」に引き継がれています。

1960年にいわゆるサラリーマン金融を開始。会社勤めで個人として信用力のある人に限り小口金融を展開、高度経済成長の波に乗っていきます。

1967年に東京へ進出後、1978年に東京・日本橋に消費者金融「アコム」を開業しました。

業界初の自動契約機を設置

アコムにとって最大のエポックは、1993年の自動契約機の開発でしょう。アコムの関係者によると、ある部長のひと言が開発の発端になりました。

「ある日、部長が展示会でテレビ電話会議システムを見学したのがきっかけでした。開発担当者に

『店舗形態の研究材料のひとつにしてはどうか』と提案したことから始まりました」

開発を始めた時期はWindows95がリリースされ、パソコンブームに火がついたころ。PCのクロック数が飛躍的に増え、電話回線もアナログからISDNが登場するなど大量の情報伝達が可能になっていく時代にあたっていたことも幸いしました。

スキャナーからCCDカメラに移り画素数も拡大。ITの進展、技術革新が本格的にスタートした時期と重なったのです。

新宿歌舞伎町、博多駅を手始めに96年3月までに4台、97年35台、98年350台と10倍のスピードで同社は設置していきます。

それでも最初は泣かず飛ばずで、スポーツ新聞やチラシで宣伝を行った結果、半年後には行列ができるほどになったといいます。

「当初の成約率は20%くらいでした。誰でもすぐお金が借りられると勘違いした人たちも多くやって来ていたものです。

カメラを備え付けていることを当初は誰も気がついていなかったんですね。その後成約率は70%近くに上がりました」(アコムの関係者)。

アコムの自動契約機は同業他社にも広がり、業界を飛躍的に成長させる大きなエンジンになっていきます。

「1日20件も成約しない店で契約機を置いた途端、それを軽く越えました。あまりに多くの利用者が自動機を待っているので、『店頭でもお申し込みできます。

30~40分でできますよ。

契約機だとあと2時間かかりますが』と言っても、『待っています』と答えるお客様がほとんどでした」(別の消費者金融大手関係者)

それ以降、業界大手はこぞって有人店の空きスペースに契約機をどんどん置いていきました。

当時は1台2000万円もする高級機で、中小業者が手の届く代物ではありませんでした。

契約機急増の原因は3つありました。ひとつは心理的な要因。店頭に行って断られるのは誰でも恥ずかしいもの。

その心理をついたのがヒットにつながりました。誰にも会わずに契約申し込みが出来るという利用者の気持ちにフィットしたのです。

第二は営業時間が延びたこと。それまでは18時までの営業だったものが21時さらに24時間営業になり、いつでもどこでも入出金できるようになったのです。

そして最大のメリットはローコストになったこと。立地上、有人店舗では開店できないところも無人店ならば低コストの開業費で済みます。

進取の気風育てた2代目社長

アコムでは、2代目社長の木下恭輔氏(2016年逝去)が中興の祖といわれています。

「なんでもやってみなはれ」が口癖で、同社に業界初の事業が多いのも、同氏の旺盛なリーダーシップのもとで生まれたのは、自動契約機だけではありません。

1979年に始めたレンタルショップ「アコムレンタル」は当時としては画期的なショップで、その後CDレンタルにもつながりました。

2000年にCDレンタル事業はツタヤに譲渡しましたが、そのツタヤが業界トップにのし上がれた原因の一つは、このアコムからの事業譲渡にあったとも言われています。

1999年には業界で初めてクレジットカードの取り扱いを開始しています。

待遇も良かったと言います。

「労働組合はありませんでしたが、社員の給料は春闘相場に若干上乗せして決まっていました。だから、毎年春闘が始まると、『ガンバレ』と陰で応援していたものです(苦笑)」(別の同社OB)

メガバンクと手を組んだものの・・・・

2001年、東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)など三菱系の金融会社4社との共同出資で「東京三菱キャッシュワン」を設立。

プロミスと三和銀行の「モビット」(2000年)、三洋信販とさくら銀行の「さくらローンパートナー」(2000年、のちに「アットローン」)と並ぶ、都銀と消費者金融の合弁会社を設立しました。

この提携により、アコムはメガバンクとの結びつきが強まり、2004年に三菱東京フィナンシャルグループ(現三菱UFJフィナンシャル・グループ)と資本業務提携を結んで三菱UFJFGの持ち分法子会社になりました。

ところが、東京三菱キャッシュワンの出足が良くありませんでした。

モビット、アットローンに比べて立ち上げが1年半遅れたうえ、民放連によるテレビCM自粛の要請で、同社の『バ、バンと』というCMがまっさきに槍玉に挙げられたとの説が広がったのです。宣伝効果がモノをいうこの業界で、この批判は致命的でした。

「天下の三菱の名をサラ金の社名に付けるとはなにごとか」というグループ内からの批判も起きました。

こうしたことが重なり、同社は2005年に「DCキャッシュワン」と社名変更を余儀なくされ、2009年にはついにアコム本体が引き取って、実質的に消滅しました。

木下家は安泰だが

2006年に最高裁がグレーゾーン金利の否定判断を下して過払い金請求が始まり、業界各社は巨額の返金に追われるようになります。

アコムは2008年、三菱UFJフィナンシャル・グループの連結子会社になります。過払い金請求に備えた貸倒引当金で財務基盤が悪化したためで、メガバンクの傘下に入って安定的な資金調達をする狙いでした。

その後収益は激減し、本業の儲けを示す営業利益は10年前の1割強。285万人いた利用者は半減し、貸出残高も1兆円を切っています。

メガバンクがその高収益に涎を垂らして結んだ業務提携も、機能しているとは言い難いです。

友好関係にある地銀を紹介してもらい、個人ローンの信用保証業務で名門の地銀から利益を上げているのに留まり、本業の無担保個人ローンは往時の勢いがありません。

ただし上場は維持していて、創業家である木下一族は安泰のようです。会長も兼務する木下盛好社長の長期政権は今年で17年目。後継には今年40歳になる木下家の常務が控えています。

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