消費者金融大手の栄華盛衰~武富士

今年は貸金業法が本格施行されて10年になります。1960年代の高度経済成長期に生まれ、「サラ金」と呼ばれながらも驚異的な発展を遂げた消費者金融業界。

規制強化によって経営破たんや合併、メガバンク傘下入りなど、劇的な変遷を遂げてきた業界大手の今昔をご紹介します。

武富士が破たん

2010年9月28日、東京・兜町にある東京証券取引所の1階特設会場。普段は会見場に使わない広々としたスペースに、100人を優に超えるマスコミが陣取っていました。

用意された椅子が足りず係員が補充し終わりかけたころ、消費者金融大手・武富士のトップと弁護士らが登壇、東京地裁に会社更生法の適用を申請したことを明らかにしました。

武富士の事実上の倒産が決まった瞬間です。負債総額は4000億円以上、過払い金請求は2兆4000億円。途方もない額の大きさに会場内は気味が悪いほど静かでした。

頭を下げる武富士・吉田純一社長(左から2人目)。

団地金融で創業、秘訣は玄関と洗濯物にあり

創業者である武井保雄氏(2006年逝去)は1966年、武富士の前身である「富士商事」を設立しました。

消費者金融は大手のプロミス、アコム、アイフル、レイクと発祥がいずれも関西で、武富士は大手の中で唯一、関東地区で営業を開始しました。

当初は「団地金融」に特化。勤め人に貸す消費者金融の特性にヒントを得て、夫の給料を当て込んで主婦に貸すニッチ(隙間)ビジネスに活路を見出したのです。

武井氏は、団地のドアに無理矢理片足を入れて締め出されないようにし、半畳ほどの玄関をとっさに見るんだ、と社員にハッパをかけました。

靴の並べ方を見て、きちんと金を返す人は整理整頓が行き届いている。玄関の靴やスリッパがきれいに並んでいない家庭はお金の管理もずさんで貸しても返さないので、絶対貸さなかったそうです。

ベランダの洗濯ものにもヒントがある、とも語っています。毎日のように掃除洗濯している主婦は家庭を大事にしている証拠で、家計にも気を配っている。

そういう所帯には積極的に貸し付けるなど、独自の発想と経験で審査のテクニックを積み上げていきました。

武富士ダンサーズ、放火事件そして盗聴容疑で会長逮捕へ

男女15人のダンサーが激しいロックのリズムに合わせてレオタード姿で群舞。終了間際にこんなナレーションが入ります。

―あなたの笑顔がもっと見たい。円ショップ、武富士。

91年にスタートしたこのCMは、世の男性の目を惹きつけました。当初は3人だったがのちに12人に増え、初代武富士ダンサーズが誕生しました。

「当時、消費者金融のCMは深夜の時間帯に限られていました。

それで、男性の目を惹きつけるお色気路線がいいだろう、という武井会長の指示で大手広告代理店に制作を依頼しああいう映像ができあがりました」(業界関係者)

オーナーの武井氏もこのダンサーCMがお気に入り。熱海で毎年開かれる全店支店長会議の慰労会にダンサーズを招いて披露させたり、新人研修での運動会にこの曲を使ったりしたこともありました。

武富士の宣伝部には、大手や中小の広告代理店からスカウトされた人が少なくありませんでした。

ここからマスコミへの裏ルートができ、広告代理店の関係者を通じて同社の批判記事を掲載前の原稿段階でチェックしていたとの指摘があります。

派手なCMの陰には、そうした闇も隠されていたのです。

こうして、都合の悪い暴露記事を事前に把握することで却ってマスコミ恐怖症を助長し、2000年ころに起きたジャーナリスト宅の盗聴事件に発展していきます。

消費者金融が我が世の春を謳歌し、武富士が収益日本一にあった絶頂期の2001年5月、同社弘前支店で悲劇が起きました。

武富士では押し込み強盗に遭った場合に渡すため、窓口の簡易金庫に数万円が用意されていましたが、支店長がそれを出し渋った結果、逆上した犯人が支店に火を放ち、惨劇が起きたと言われました。

当日は決算発表の会見日でもあり、晴れがましい業績発表の日が一瞬にして暗転しました。

そしてついにXデーがやってきました。03年12月2日。武井会長が電気通信事業法違反容疑で逮捕されたのです。

この事件を境に武富士は四半世紀守り続けてきた業界トップの座から滑り落ちて業界トップの座をアコムに譲り、大手4社の最後尾まで転落します。

武井氏は判決を受け入れて武富士から身を引きましたが、その後数年間は自宅から会社を遠隔操作。

次男健晃氏を次期トップにすべく副社長にして一族の延命を図ろうとしますが、貸金業法が制定された2006年、鬼籍に入りました。

2006年9月、東京・築地本願寺で執り行われた故武井保雄氏の社葬

カリスマと真正館

世間的には必ずしも評判が芳しくなかった武富士ですが、社員の多くは武井会長に親近感を抱く人が少なくありませんでした。

新規顧客の開拓、全員総出のティッシュ配り、回収ノルマと寝る間もないモーレツ会社でしたが、営業成績が良ければ相応の見返りが必ずありました。

人は誉められればその気になります。

入社したときから毎日額縁のなかで微笑む会長の写真に、出社、外出、帰店、退社と、ことあるごとに声をかけるのが社員の義務。そんな神様のようなトップから激励されたら、イチコロです。

例えば、幹部が「会長は社員全員の名前と顔を覚えている」と全国の支店を回って吹き込みます。

現場の店長も本社の幹部も口を揃えて若い社員に吹き込みます。実際会うと、武井氏はよく覚えていたそうです。元社員が証言します。

「これには裏があります。年間の営業表彰式では、予め会長が声をかける社員を決めておき、会場でその社員が座る席を会長に教えておくのです。

座席場所と氏名、生地、配属先、営業成績などを会長に紙に書いて渡しておく。しかし本番になるとちゃんと暗記しているんです。

『君はどこの出身で、あそこの支店だったね。回収500件か。すごいね、いやあ良く頑張った。おめでとう!』と言って肩を叩き、固く握手する。

そりゃあ、感激しますよ。写真でしか見たことのないトップから直々に目の前で誉められるんですから。

指名された者は直立不動のまま泣き出します。それが口コミで広がるから、カリスマ性がぐっと増す。

でも、たまには覚えていない時もあって、『最近頑張っている山本君は、どこだったかな?

やあやあ、そこにいたか』などと言って取り繕う。これがまた抜群の演技で、みなコロッと参ってしまう」

武井一族における重要な収益のひとつが、都心の一等地にある広大な施設、真正館の存在です。

ここは武富士の子会社が所有している形になっていて、一族の住居であると同時に武富士の研修施設。

同社は真正館で年に100回以上は泊り込みで研修していましたが、その場合、武富士が真正館に1人1日1万円の宿泊料を払う仕組み。

自社の研修費用を一族に貢ぐという、武井ファミリーにとっては濡れ手に粟の金が入るのです。

良い時代に退職した社員は幸運でした。

このころ従業員持ち株会で武富士の株を買い増ししていった社員の中には、上場後に全株売却して都内に5つの支店を持つ美容室チェーンを買収・経営しながら武富士に在籍したり、投資用のマンションで大儲けした社員がゴロゴロいたと言います。

定年後に本社のガードマンになった人も、億単位の資産があったそうです。

「売り時を間違えた人は逆に悲劇だったでしょうが、98年の上場のころに売却した社員は会社に感謝しているはずです」と付け加えます。

今年3月に会社消滅

2010年9月に経営破たんした武富士には会社更生法が適用され、韓国系の消費者金融「A&Pフィナンシャル」が落札しましたが買収資金が集まらず、最終入札に残った4社のうち国内の金融会社であるJトラストが傘下に収めました。

しかし再建とは名ばかりで復活することはできず、今年3月に会社更生法手続きは終了。ここに武富士は名実ともに消滅しました。

武井一族はいまどうしているのか? 消息筋がこう語ります。

「副社長だった健晃氏は、武富士の資産を管理する会社の出資者の立場。数多くの過払い金請求訴訟の被告になっていて、その対応に追われています。

武富士の研修施設だった『真正館』でひっそりと暮らしているようです。

長男俊樹氏は、香港に置いていた2000億円の資産に対する脱税事件で勝訴したので、海外のどこかで悠々自適に暮らしているという話もあります」

東京・西新宿にあった武富士本社

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