第2回 みんなのクレジット白石伸生社長が辞任!知られざる経歴とは?

4月29日、「みんなのクレジット」(以下、「みんクレ」)は白石伸生社長の辞任を自社サイト上で発表しました。

金融庁から業務改善命令を受け、社内体制が一新された時点で職を辞するとの説明は3月30日にありましたが、謝罪からわずか1か月で体制整備の内容は明示されず、経済活動が停滞する大型連休中の辞任は、違和感を覚えます。

出典:株式会社みんなのクレジット社のホームページより

みんクレに対する行政処分の根幹は、投資家から集めた資金を一族企業など投資家への説明とは異なる会社に対して投資(融資)していた点にありました。

では、みんクレが融資していた会社とは、どんなところでしょうか。白石伸生氏の経歴などから、たどってみました。

宝飾販売で起業

同氏は1994年、大学在学中に宝飾を扱う「株式会社ダイヤモンドシライシ」を設立しますが、5年後に会社を売却。母親の白石勝代氏が後継社長に就きます。

その直後に伸生氏はやはり宝飾販売の「プリモ・ジャパン株式会社」(当初の社名は「スピードクリエイション」)を設立、やはりここも5年後に代表取締役社長を辞任し、今度はペットの損害保険会社「アイペット損保」(現「スローグループ」)を設立。アイペットは3年後に売却し、今度は事業再生に力を入れ始めます。

07年に事業再生を行う「株式会社レッドウォールジャパン」を設立。この会社は現在の「株式会社ブルーウォールジャパン」の前身かと思われますが、この会社がみんクレの親会社です。

同社は、みんクレと美術品売買の「株式会社ブルーアート」(16年9月設立)の2社を関連会社に持っています。

祖業の宝飾販売業「ダイヤモンドシライシ」は01年にシーマと名を変え、3年後に株式を上場します。

その間、伸生氏はプロレス団体のオーナーになるなどマスコミに登場するようになりました。

10年には、倒産した美容エステの「ラ・パルレ」を引き継いで「株式会社ビューティパートナーズ」を設立、「ラ・パルレ」のエステ部門は14年にシーマが買い取ります。シーマは昨年あたりから絵画販売にも乗り出しています。

融資先の解明は困難

ところで、伸生氏の実父である白石幸生氏は銀座の画廊オーナーで、一時シーマ(16年から「NEW ART」)の社長を務めたことがあります。

同社は設立以来、一時期を除いて白石一族がトップを独占している典型的な同族会社。幸生・勝代夫婦の間に哲也・伸生・幸栄の3兄弟がおり、親子5人すべてが社長に就任しています。

伸生氏は宝飾販売で会社を興し、次々と企業を設立しては売却し次のステップに進むというビジネス遍歴を持っているようですが、同氏と同族会社である「NEW ART」社は、密接な関係で結ばれているように見えます。

最初に設立した「ダイヤモンドシライシ」(現「NEW ART」)の2代目社長が母親ですし、エステ事業を営業譲渡した相手も同じだからです。

また「NEW ART」社は最近、美術品の販売に乗り出しています。

伸生氏の現在の活動拠点とみられるブルーウォールジャパン社の関連会社ブルーアートは絵画販売の会社で、父親がそもそも画廊のオーナーということでも、伸生氏と一族企業グループの強い絆は容易に想像できるのではないでしょうか。

伸生氏が貸し付けた会社は未公表ですので確かなことは分かりません。

しかし、みんクレは、前述したような、同氏および一族企業と何らかのかかわりがある企業に対して融資(投資)したのではないでしょうか。

それが、みんクレが説明する「グループ会社」である可能性が高いと思われます。いずれにせよ、みんクレには今後、法令を遵守し適切な投資活動を展開することを期待したいものです。

白石伸生氏および周辺企業の事業の推移

年月 白石伸生氏 株式会社 NEW ART
(旧シーマ)
 歴代社長
1994年
9月
早稲田大学在学中に「株式会社ダイヤモンドシライシ」を設立。 白石伸生
1998年
7月
社名を株式会社ダイヤモンドシライシから株式会社シーマブライダルに変更
1999年
3月
「株式会社ダイヤモンドシライシ」売却。代表取締役辞任。
1999年
4月
プリモ・ジャパン株式会社」を設立。 白石勝代
2000年
3月
店頭登録
2001年
10月
 社名を株式会社シーマブライダルから株式会社シーマに変更 白石幸栄
2004年
3月
[プリモ・ジャパン株式会社」売却。代表取締役辞任。
2004年
5月
アイペット損害保険株式会社」(現スローグループ)を設立。
2004年
12月
ジャスダック証券取引所に株式を上場
2005年
2月
監理ポスト入り
2006年
5月
「株式会社スピード・ファイナンシャル・パートナーズ」設立 恩田 饒
2007年
2月
白石幸生氏、6億円の脱税容疑で逮捕(東京地検)
2007年
6月
アイペット損害保険株式会社 」売却。
2007年
9月
「株式会社レッドウォールジャパン」を設立。
2008年
4月
白石幸栄
2009年
2月
「株式会社らいずほーむ」を設立。
2010年
9月
「株式会社ビューティパートナーズ」を設立。
2012年
11月
全日本プロレスの株式を100%取得しオーナーになる。
2012年
11月
「株式会社ブルーウォールジャパン」(事業再生)を設立。傘下に「みんクレ」、「ブルーアート」の2つの関連会社
2013年
4月
白石勝代
2014年
7月
株式会社ビューティパートナーズが保有する株式会社ニューアート・ラ・パルレをグループ会社化。エステ事業開始。
2015年
4月
白石幸生
2015年
5月
「株式会社みんなのクレジット」を設立。
2016年
4月
「みんなのクレジット」、サービス開始 白石哲也
2016年
7月
社名を株式会社シーマから株式会社NEW ARTに変更
2017年
4月
「株式会社みんなのクレジット」社長を辞任。
2017年
10月
持株会社に移行予定

出典:各社のWebサイトなどを元に作成

実現しなかったインターネット消費者金融の話

さて、話題を代えて昔話をご紹介します。

03年ころだったでしょうか、知人を通じて相談を受けました。インターネット上で消費者金融をやりたいのだが、実現可能かどうか意見を聞かせてほしいというのです。その内容はこうです。

100万円くらいまでの小口資金を融資する消費者金融の専用サイトを立ち上げ、そこに借り手として全国の貸金業者に登録してもらう。

一方、サイトには「いつまでいくら貸してほしい」という利用者の申し込みを受け付ける。すると、登録している貸金業者は「10日後に、年利22%で50万融資、返済期間は3年」などと条件を提示する。

業者はここで金利融資総額を巡って競争し、利用者が申し込んだ条件に最も近い業者が落札する。いわばオークション形式の消費者ローンです。

このころは消費者金融の上限金利が29.2%の時代でしたが、いわゆる闇金が社会問題化し、数年後には金利が見直されることが決まっていました。

大手の消費者金融は高収益を上げていましたが、中小の貸金業者は淘汰が始まりつつありました。この話を構想した人も中小規模の貸金業者でした。

私は「発想はユニークで面白い。ただ、利用者の借り入れ状況が適切に調査できれば事業化は可能だろうが、それが難しいとなると多重債務の恐れが出て、当局からの認可は厳しいのではないか」と答えました。

金融庁は業者の生き残りよりも、多重債務という生活者の課題解決を優先すると思ったからです。すでにシステム対応も済んで、貸金業登録の申請段階にある、とのことでしたが、結局この構想は立ち消えになってしまいました。

今でいえばこの事業モデルはソーシャルレンディング業であり、アイデアを思い付いた人は先見の明があったと思います。

その後、消費者金融業界は未曽有の苦難を味わうことになりますが、2000年代前半は火種を抱えながらも最後の輝きを放った時期でもありました。

2000年代前半の消費者金融は、まだ輝いていた…(写真は当時の東京・新宿)

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